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カテゴリ:音楽に関する話題( 35 )

コネクシオンで時々流れる音について・その6

 ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞したらしい。いろいろな人がいろいろな意見を言っていて面白い。
 勝手な憶測だが意見を述べている人たちは今までのノーベル文学賞受賞者をほとんど知らないと思う。日本人であれば川端康成と大江健三郎を挙げられるかもしれない。しかし他にはせいぜいアーネスト・ヘミングウェイとアルベール・カミュくらいしか出てこないだろう。恐らくノーベル文学賞の選考委員も選考基準も全く知らないだろう。賞の何たるかも知らないのにボブ・ディランの受賞についてあれこれ意見を言っている。その光景が面白いのである。
 あぁ強気なことをつい軽々しく放ってしまった。正直なところ自分でもノーベル文学賞については全くの無知だ。無知な者が根拠もなく他人を無知だと嘲笑するほど滑稽なものはない。
 いずれにせよ無知な人々がノーベル文学賞に対して関心を抱くよう仕向けた功績だけでボブ・ディランは偉大なのかもしれない。
 
 手元に2枚組のレコードがある。ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス『エレクトリック・レディランド』。これを買った日付を覚えている。より正確にはその日起きた事がとても大きかったために日付を特定できると言うべきだろうか。
 1985年08月12日だった。曜日は覚えていない。高校1年の夏休みだった。まだ群馬の実家に住んでいた。電車で高校のある都市まで行きレコードを買った。いつも通学に使っている17:50頃に最寄の駅へ着く電車で帰ってきた。18:00過ぎには自宅に着き19:00頃には家族で夕食となっていた。テレビを見ていた。ニュース速報で“日航機が消息不明”と流れた。
 それからずっとテレビを見続けていた。“群馬県と長野県の県境に日航機が墜落した模様”…そんな内容の続報が流れていたように記憶している。“浅間山に墜落した飛行機が燃えている”という情報もあった。とにかく目が離せなかった。買ってきたばかりのジミ・ヘンドリックスは聴かなかった。
 少ない小遣いで買うレコードは厳選する。そんな高校生にとって買ってきたばかりは嬉しくて仕方がない。なのにすぐに聴かずにいたのは異例だった。だからこそその日のことを覚えているのだろう。

 『エレクトリック・レディランド』に「ウォッチ・タワー」が入っている。ボブ・ディランの作詞・作曲だ。レコードを購入してから30年以上経過しても食傷なく聴ける音楽である。
 付属のライナーノーツには次のように書かれている。
 ボブディラン(ママ)の曲“All Along Watch Tower(ママ)”では、歌手としてのジミ・ヘンドリックスの素晴らしさが聞かれる。ギタリストとしてあまりにもみとめられた彼の歌というのは、すみに置かれがちな所があるが、この曲では本当にすばらしい歌唱力を発揮している。

 自分はこれを何回聴いたのか。もちろんカウントなどしていない。100や200の回数では収まらないだろう。ライナーノーツの裏側にある歌詞をリーダーズ英和辞典片手に理解しようと試みたこともある。だが何もわからなかった。
 この20年ほどの間でインターネットが普及した。「ウォッチ・タワー=見張塔からずっと」に関して情報検索してみるとWikipediaにはこんな記述が出てくる。
 歌詞は『聖書』「イザヤ書」第21章の、見張り塔から馬に乗った二人の男が来るのが見えたとき、堕落したバビロンが崩壊したことを知るという逸話を踏まえており、ディランは二人の男に道化師と泥棒、見張り人に王子達を配して、彼の社会観を象徴する寓話的な内容に仕立てている。
 ボブ・ディランの社会観を象徴する寓話的な内容…か。他のボブ・ディランの作品についてほとんど知らないので何とも言えない。そもそも自分はキリスト教徒でもなく母国語も英語でない日本人である。わからなくて当たり前かもしれない。

 2016年10月13日。木曜日だった。時間は20:30頃だっただろうか。実家へ帰っていた。テレビを見ていた。ニュース速報で“ノーベル文学賞にアメリカのミュージシャン ボブ・ディラン氏”と流れた。
 驚いた。次の瞬間には『エレクトリック・レディランド』の「ウォッチ・タワー」を思い出した。
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by connection1970 | 2016-11-07 22:03 | 音楽に関する話題 | Comments(0)

カートリッジを交換

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 こんばんは。
 2015年の07月に、「レコードプレーヤー」という記事を書いています。そこからたどって整理していくと、2012年12月:2台のうち1台がターンテーブル部不調=自家調整で復帰/2014年09月:2台のうち1台が不調=メーカーによるオフィシャルな修理で復帰/2015年07月:2個のカートリッジのうち1個でリード線断線=部品交換…という変遷になっています。
 数日前、カートリッジを交換しました。シュアーのM44Gです。上の画像は、交換後に撮影しました。
 以前使っていたスタントンのカートリッジではもう針が見付からず(かなり綿密に探せばもしかしたら見付かるのかもしれませんが)、あぁ~次はカートリッジごと取り替えなくては…それなりの出費になるしなぁ…と、ここ1年ほどの間はちょっと頭が重かったのです。
 1ヶ月ほど前のことだったでしょうか。レコードを何枚か聴いていて、盤によって音の良し悪しの差が激しいことに気付きました。針先の劣化が、出てきてしまったようです。
 とうとう決断の時か、と思いつつもマゴマゴしているうちに、自主企画のDJイベントの日となりました。とりあえず音は出せるにしても、あまり良くない状態で鳴らすのは気が引けるなぁ、と及び腰でイベントに対応していました。そこで急に、良い音でレコードが鳴った瞬間がありました。あれれ?ずいぶん改善されたな、と驚いてレコードプレーヤーを見てみると、お客様がお持込みになったヘッドシェル+カートリッジが装着された状態でターンテーブルが回っていました…まずい、これはすぐに処置せねば!即このM44Gを2個手配しました。
 早々に手元に届き、梱包を開けてみると、細かいパーツが予想していたよりも多く入っています。説明書(邦訳あり)が添付されているものの、取り付け方の詳細までは言及されていません。うーん、自分で工夫してやるしかないのかぁ。結局、1時間ほどカチャカチャといじって組み上げたのが、画像の状態です。
 で、肝心の音はどうなったか?と。それは、聴いてのお楽しみ!です。
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by connection1970 | 2016-11-02 00:02 | 音楽に関する話題 | Comments(0)

コネクシオンで時々流れる音について・その5

 ボビー・ハッチャーソンの『ハプニングス』を聴いている。
 有名人の訃報が流れると、続いて“R.I.P.”というのがどこからともなくインターネット上に出てくる。これがどうも好きになれない。肉親でも友人でも仲間でもない人物の死に際して、こんなに気安く発言ができるものか?と思ってしまう。追悼を踏み台にして勝手な意見を発信したいだけじゃないか、と口を挟みたくもなってしまう。
 ボビー・ハッチャーソンが亡くなったらしい。08月15日だったそうだ。自分には、何も関係ない。有名な音楽家が一人、知らないところで一生を終えた。それだけのことじゃないか。
 一度だけ、ボビー・ハッチャーソンを見たことがある(ピアノのマッコイ・タイナーとのデュオだった)。何を演奏していたのか、演奏がどんなものだったのか、全く覚えていない。ただし、とてもにこやかで、楽しそうにヴィブラフォンやマリンバを叩いていた様子は鮮明に記憶している。この人は心から音楽が好きなのだろうな、と感じさせるものがあった。
 死去を伝えるザ・ニューヨーク・タイムズの記事「ボビー・ハッチャーソン、音の色彩のヴィブラフォン奏者、享年75歳」を興味深く読んだ。文末に置かれた自身の談話が、洒脱だ。「エリック・ドルフィーは、音楽は風のようなものだ、と言っていたね。その風は、どこから来たのかわからないし、どこへ行ったのかも、わからない。操れるものでもないんだ。せいぜいできるのは、そのフトコロへ収まって、掃き出される、そんなことくらいだよ。」
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by connection1970 | 2016-08-19 13:50 | 音楽に関する話題 | Comments(0)

コネクシオンで時々流れる音について・その4

 2016年07月17日(日)。
 良いニュースが流れてきた。上野の国立西洋美術館が、ユネスコの世界文化遺産に登録されるとのこと。ル・コルビュジエが基本設計を手がけた、美しいモダニズム建築である。

 2016年07月18日(月・祝)。
 3連休の最終日。海の日だ。海なし県の山間地で生まれ育った身にとっては、縁のない日かもしれない、などと考える。
 職場に雑然と置いてあるCDの中から、ハービー・ハンコックの『処女航海』を出してきた。収められている5曲は、どれも海をテーマにしている。静かな海。荒れる海。生命を生む海。生命が戦う海。生命が遊ぶ海。情景を想像しているうちに、40分ほどの音楽は終わってしまう。
 ふと、ル・コルビュジエが海で死んだことを思い出した。いつだったのだろう、と調べてみると、1965年08月27日だった。もしかすると、この『処女航海』と時代が近いかも…CDのジャケット裏に、1965年05月17日録音と記されている。そうか、同じ年だったのか。
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by connection1970 | 2016-07-20 20:28 | 音楽に関する話題 | Comments(0)

コネクシオンで時々流れる音について・その3

・2000~2005年頃
 セルジュ・ゲンズブールの初期音楽作品をCDで断続的に買った。1枚目と3枚目と4枚目の都合3枚。

・2009年06月
 4枚目のCDに「Baudelaire」という曲が入っている。ブラジル風のアレンジでなかなか洒落ていて好きだ。CD付属のライナーには、「C.Baudelaire/S.Gainsbourg」と表記がある。ボードレールの詩が使われているようだが何なのだろう?と思い堀口大學訳の新潮文庫版『ボードレール詩集』をパラパラとめくってみる。それらしきものが見付かる。「踊る蛇」。

・2011年09月
 山形県鶴岡市の知人を訪問。3日間の滞在。
 1日目に国宝:羽黒山五重塔を見物した。傍らに西條八十の詩碑があって嬉しくなった。
 2日目に市内の書店で『日本詩人全集 堀口大學・西條八十・大手拓次』を古書で購入した。堀口と西條との名前が並んであって面白く感じたからである。大手拓次は知らなかった。書中の解説を読むと自分と同じ群馬県出身である。親しみを感じるがその詩作はかなり幻想的でちょっと近寄りがたいものがあった。

・2013年07月
 兄と一緒に大手拓次の碑を探した。詩碑と墓碑。

・2014年
 岩波文庫版の『大手拓次詩集』を神保町の古書店で購入。パラパラと中を見るがやはり幻想的な詩が多数連なっている。少し目を通しただけで放置した。

・2016年01月
 岩波文庫版『大手拓次詩集』を久々に手に取った。ボンヤリとページをめくっていると巻末あたりに訳詩がまとまっていることに気付く。その中に「踊る蛇」があった。ゲンズブールの「Baudelaire」を改めて聴く。ボードレールによる原文も読む。堀口訳も再読する。それぞれを大手訳と照らし合わせる。描かれているのは男女の肉体の悦楽だ。それ以外のことは書かれていない。肉体が言葉となり紙の上に印刷されたとも言えるだろう。

・2016年02月
 大手拓次の詩作には“蛇”が多数登場する。もしかすると大手の“蛇”は肉体の象徴なのではないか?と考えた。幻想的な詩の中に何かの姿が見えてくるような気がした。

・2016年03月
 自分の誕生日がある。その日はセルジュ・ゲンズブールが没した日らしい。
 大手拓次は46歳で没したらしい。今度の誕生日で自分は46歳を迎える。 
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by connection1970 | 2016-02-28 22:10 | 音楽に関する話題 | Comments(0)

コネクシオンで時々流れる音について・その2

 バレンタインデーが過ぎた。
 この種の、世間全体が盛り上がるようなイベントが、苦手なのかも知れない。クリスマス。ハロウィン。いつも、乗り遅れる。苦手だから、乗り遅れるのか。乗り遅れるから、苦手なのか。良くわからない。

 そんなことをボンヤリと考えながら、終業後の店内で「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」を久々に聴いた。マイルス・デイヴィスの『クッキン』に収められている。
 何年かのご無沙汰のせいだろうか、こんなにも圧力が低く、かつ少い音だったかな?と思う。ゆったりとしたリズム。ドラムスは最初から最後までブラシで叩いている。歌うようなベースだが、多弁ではない。トランペットの音も全部ミュート。ピアノだけがソロでやや饒舌になるが、かえって他の大部分の繊細さを強調している。

 ふと、昨年(2015年)の夏に練馬区立美術館で見た、舟越保武の彫刻を思い出した。赤っぽい大理石でできている、男性らしき人物の頭部だ。作品展示に、舟越自身が記したとされる文章が付されていた。石材店からアトリエまで自分でリアカーを引いて材料を運び、近所に住む石工職人さんから石について簡単な手ほどきを受けて刻み始めた、自分が彫刻家であることを強く意識した…そんな内容だっただろうか。正確なところまでは覚えていないが、ともかく、語り口に熱気のようなものが感じられた。その一方で、彫られた作品は、静謐で透明感のある表情をしていた。

 マイルス・デイヴィスの「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」も、切削の産物かもしれない、と考えた。
 何かしらの、もっと煩雑に鳴り響く、あら熱を持った塊のような、原材料のような、そんなものがこの演奏以前にあったのではないか?そこへノミを入れて、彫り整えていくことにより、この音が作られたのではないか?

 もう一回、と思いレコードの針を最初に戻した。「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」が、再度流れる。最後まで聴く。ただし、この音がどうやってできたのかは、やはり、良くわからない。

コネクシオンで時々流れる音についてもご覧くださいますと、嬉しいです。
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by connection1970 | 2016-02-19 15:32 | 音楽に関する話題 | Comments(0)

コネクシオンで時々流れる音について

 最近のことである。
 知人を訪ねた。室内で馴染みのある音がしていた。「これはハンク・モブレーの『ソウル・ステーション』でしょう?」と問いかけた。知人は携帯電話の画面を見た。音も、そこから出ているらしかった。「当たりですよ」と少し驚いた様子の声で、答えがあった。そして、「なぜわかりましたか?」と問い返された。「あぁ…ちょっと、馴染みがあるので」としか言いようがなかった。

 群馬にいて、高校の2年か3年だったから、1986年から88年のどこかだったと思う。
 たまに、精一杯の背伸びをして行く喫茶店があった。ある日一人でコーヒーを飲みに立ち寄ると、幼い男の子とそのお母さんらしき女性が客席にいた。この店にしては、ちょっと珍しい光景だな、と思った。スピーカーから、かなり大きくテナー・サックスの音が出てきた。ご店主は、その男の子に4/4拍子を教えようとしているようだった。「ほら、一緒に数えてみなよ。イチ・ニ・サン・シ、ニィ・ニ・サン・シ…」。男の子は、リズムに合わせて手を叩いていた。プレイヤーの上で回っているレコードのジャケットが掲げられる「NOW PLAYING」のラックには、青っぽい写真が見えていた。

 東京にいて、アルバイトで稼いだ小遣いであれこれCDを買った頃だから、1989年か90年のことだったと思う。
 ブルーノート盤が好きだった。理由らしい理由は、なかったと思う。雑誌かラジオかで、“名門・ブルーノート”と見るなり聞くなりかして、鵜呑みにしていたのだろう。
 そうして買った数十枚のブルーノート盤の中に、ハンク・モブレーの『ソウル・ステーション』があった。

 あれから今まで何回、これを聴いただろうか。年に4回=3ヶ月に1回だけとしても、25年間で100回。それくらいの回数は、軽く超過している自信がある。
 つまり、少なくとも100回、高校生の時にあの喫茶店で鳴っていたテナー・サックスの音は『ソウル・ステーション』だったのではないか?という自問を、反芻していることになる。
 この自問に対する回答は、一切ない。記憶を共有している人は、一人もいない。あの喫茶店も、なくなってしまっているのだ。手がかりとしてあるのは、『ソウル・ステーション』に収まる6曲全部の端正な4/4拍子と、ジャケット写真になっている青みがかったハンク・モブレーのポートレイトだけだ。

 2016年の現在。小さな携帯電話1台で、いろいろな音が聴けるようだ。便利になったものだ。
 携帯電話に何かのアプリを入れ込むと、その場で流れているBGMがどんな曲なのか、測定できるらしい。高校時代の思い出にかざせば、そのアプリは反応するのだろうか。いやいや。反応するわけがない。
 今となってはもう、どうやっても、誰にも、真相がわからない。そんな自分だけの思い出を抱えていることに、残念でありながらもどこか甘美な、複雑な感情が湧いてくることがある。
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by connection1970 | 2016-02-09 05:40 | 音楽に関する話題 | Comments(0)

レコードプレーヤー

c0099300_19114254.jpg 2012年の12月に「アナログの魅力」という記事を書いています。
 それから2年弱が経過した2014年の09月。2台備えているレコードプレーヤーのうち、1台の調子が悪くなりました。事の経緯を書くと、とても長くなりそうなので、結果だけ記します。メーカー(=パナソニック)のオフィシャルな修理をお願いし、復調しました。良かった良かった!さすがは名機だ、と感心したものでした。
 時間はさらに経過して、先週の土曜日のことです。自主企画のイベントでレコードをかけていると、2つのレコードプレーヤーから出る音量が明らかに違うことに気付きました。おかしいなと思い、音量の小さい方を調べてみると、左側の音声がゼロになっています。
 DJミキサーへのケーブルがうまく連結していないのかな?と思い点検したものの、ここは異状なし。ではレコードプレーヤーか?ヘッドシェルとトーンアームがうまく接触していない?レコード針とカートリッジの噛み合せが悪い?あるいは本体内部の配線が断線している?いろいろ考えましたが、音楽をストップさせるわけにもいかず、イベント終了まではそのまま片肺状態で使い続けました。
 うーむ。何が原因なんだろう?終業後に落ち着いて考えてみました。イベント時にご自分のヘッドシェルをお使いだったお客様は、両方のプレーヤーとも特に問題なくレコードをかけられた、と話していました。ということは、弊店備品のヘッドシェルに不具合がありそうです。試しにヘッドシェルを入れ替えてみると、片方だけが左側無音の症状になっていることがわかりました。
 ここ数年進行している老眼気味の目を細めて、症状のあるヘッドシェルを良~く見てみると...カートリッジから出ている4本のリード線のうち1本が、断線していました。
 ありゃー!日曜日の18:00からDJイベントを受けているのに!!
 これまた事の経緯を書くと、とても長くなりそうなので、結果だけ記します。自宅のレコードプレーヤーで使っているヘッドシェルからリード線を引き抜いてきて、弊店備品に移植しました。音は、完全な状態で出ました。はぁー。良かったぁ~!
 (※上掲の画像はリード線移植後を撮影したものです。)
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by connection1970 | 2015-07-06 20:08 | 音楽に関する話題 | Comments(0)

アナログの魅力

 日誌スタイルの記事と、週間予定の告知ばかりが続いていますので、ちょっと目先を変えまして…
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 画像は弊店のレコードプレーヤーです。テクニクスのSL-1200MK3D。

 6年も使っていると、小さなトラブルが発生するものですね。
 1週間ほど前のことです。DJブースをお使いいただいていた時でした。

・DJ/T様「あれ?ターンテーブルが回りませんよ!」
・コネクシオン「えッ?」
・DJ/T様「スタートボタンを押しても、動かないです。」
・コネクシオン「あ。おかしいですね。」
・DJ/T様「どうしたんでしょう?こんなのはクラブでも自宅でも起きたことがないです。」
・コネクシオン「うーん。中で何か挟まったのかもしれないです。ちょっと見てみます。」
(ターンテーブルを外したり付けたりしているうちに動き出す。しかし回転が不安定。)
・コネクシオン「とりあえず動きました。でもちょっと回り方にバラつきが出ています。」
・DJ/T様「良かった。音を聴くぶんにはあまり問題がなさそうですね。」
・コネクシオン「そうですね。しばらく様子を見てください。」

 …ということで、一時的に難は避けられたものの、どうも万全ではない感じです。
 終業後に、またターンテーブルを外してあれこれ見てみました。ターンテーブルに接触して、回転の支障となるような異物は、どうやらなさそうです。
 ではここが原因ではないか?ということで、回転の中心となるアクスルシャフトの部分を注視してみました。この部分には、ベアリングなどが入っているのではなく、金属同士が擦れ合っている箇所があります。
 じゃ、油でもくれてやるか。通勤自転車のチェーン用にと某100円ショップで買ってきた潤滑油があるので、それを引っぱり出してきて数滴。

 結果。完全に復調しました。良かった良かった。安心したのは、言うまでもありません。
 何だか、愛着も増しましたね。自分で育てたような感覚、でしょうか。
 このあたりが、アナログの魅力かな?なんて思ったりもします。
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by connection1970 | 2012-12-27 15:57 | 音楽に関する話題 | Comments(0)

今日の一曲111013

 今日の一曲111013水曜日。
 “秋の夜長”とはちょうど今頃の時季を言うのだろう。昼間は薄着でも大丈夫だが日が落ちると肌寒くなる。バーに立ち寄りウィスキーをストレートで飲んでやる。2杯目に取り掛かって酔いが回り始め時計に目をやると19:00だったりする。夜はまだまだ。こんな状況から発した慣用句が”秋の夜長”でなないか。
 ところでジョン・コルトレーンのサックス演奏は“シーツ・オブ・サウンド”と評された。音が敷き詰められているからだ。実際にコルトレーンの遺した録音の多くはギッシリと音が並んでいてとてもパワフルである。それはあまりに温度が高くて秋の夜には釣り合わないのではないか。もし釣り合うとすれば次のようなタイミングだ。夏の昼下がりに寒いくらいクーラーが効いたジャズ喫茶でアイスコーヒーを飲む時。他に適切なところは考えられない。
 しかしコルトレーンは秋の夜にぴったりな演奏もしっかりとしている。『ジョン・コルトレーン&ジョニー・ハートマン』に収められている「オータム・セレナーデ」だ。
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by connection1970 | 2011-10-13 03:47 | 音楽に関する話題 | Comments(0)